住職コラム 事事無礙 -jijimuge-
第40回
ものの見方について、新聞記事でハッとさせられました。私たちは動物や植物に対して、種類別に名前をつけて呼んでいます。新種が発見されると、すぐに命名されていることからも、分かっているすべての種類に名前はつけられているのでしょう。路傍の草花にも、もちろんそれぞれ名前があります。なかには奇妙な名前もあり、かわいそうに思ってしまうこともあります。ただ、そもそも人がつけた名前です。「こんな名前でどう?」というように、動物や植物に尋ねたわけでもないでしょう。また、親が子に名前を付けるのとでは、意味が異なります。そうです、実はどんな名前であっても、動物や植物は嬉しくも何ともなく、「勝手に名前を付けやがって」と思っているかもしれないのです。「これはいい名前だなあ」とか、「あれは奇妙な名前だ」ということも、すべては人の見方なのでした。
2010年5月 浄土真宗本願寺派 善福寺 副住職 伊東 昌彦
第39回
お葬式についての話題をもう一つ。昨今、お葬式はそもそも必要なものなのかという議論が起っています。「自分のお葬式は必要か」というアンケートも良く目にします。多くの場合、「必要ない」と答える方が多いようです。「独り身だから」というご意見もありますが、「子どもたちに迷惑をかけたくない」というご意見も目立ちます。自分のことを考えましても、たしかに盛大にお葬式を行ってほしいとは、特に思いません。ただ、いつも不思議に思うのですが、実は自分では自分のお葬式をすることはできません。お葬式というものは、本来、残された者が故人を偲んで行うものです。それにも関わらず、上記のような質問を繰り返すことは、あまり意味がないと感じます。むしろ大切なのは、なんとなくの形式にとらわれないよう、事前にお葬式の意義について、家族で話し合うことではないかと思います。
2010年4月 浄土真宗本願寺派 善福寺 副住職 伊東 昌彦
第38回
新聞記事で「お葬式のお布施」についての言及があり、多くの方が「高い」と感じていらっしゃるとのことでした。そもそもお布施は労働の対価ではありませんが、そう受け取られている方も多いようです。今はお布施の意義には言及しませんが、そう感じさせてしまう問題は、やはり僧侶側にあるのでしょう。葬儀はショーではありませんし、目立つパフォーマンスをする必要はありません。亡くなられた方を偲び、その方の命、その方の人生を遺族が受け止め、そこから何らかの人生の学びを得ていくのが葬儀です。言い換えれば、葬儀は亡き方との新しいお付き合いが始まる場であり、僧侶はそれを示していかねばなりません。何となく法衣を着て、何となくお経を読んで、何となく「合掌礼拝…」では、何も伝わることはないでしょう。僧侶はお布施をいただくことの意味について、今一度考える必要があるようです。
2010年3月 浄土真宗本願寺派 善福寺 副住職 伊東 昌彦
第37回
「全国でお寺はコンビニより数が多い」、ということをどこかで聞きました。はじめは驚きましたが、冷静に考えればそのはずです。近所では各集落に一つのお寺がだいたいあり、おそらく全国的にも似たようなものでしょう。江戸時代には役所の業務を一部担っていたと聞きますので、的外れではないと思われます。かつて、お寺はいわゆる寺小屋に見られたような、地域における教育の拠点であり、文化の発信地の一つでもありました。行政機関に組み込まれつつも、地域での主体的な活動を失っていなかったのです。今、お寺の役割を再考する機運が高まっています。すべてに当てはまることではありませんが、近代化とともに、地域社会と疎遠になってしまったお寺も多いのでしょう。歴史から学ぶことは大切なことです。なぜ、これだけ多くのお寺が存在してきたのか。地域のためにも、こう問い直すことは決して遠回りなことではないでしょう。
2010年2月 浄土真宗本願寺派 善福寺 副住職 伊東 昌彦
第36回
東京より一日遅れで初雪です。南足柄市は寒いと思われる方も多いのですが、平野部は東京よりも暖かです。東京の築地本願寺に行きますと、それを実感いたします。南足柄市は小田原市のお隣ですので、そう思うとイメージが合致すると思います。ただ、足柄と言えば金太郎でしょうが、でも場所はよく分からんなあ、というのが多くの方のイメージではないでしょうか。実のところ、静岡県の小山町にも足柄駅はありますし、小田原市にも足柄駅があります。こうした何となくのイメージで理解していることって、案外多い気がしませんか?「伝統的な文化」なんて言うのも結構あやしくて、明治以降の文学などによるイメージである場合もあります。江戸時代の生活はいかに?!間違いなく大衆時代劇の世界ではないでしょう。イメージ先行には気をつけたいものです。
2010年1月 浄土真宗本願寺派 善福寺 副住職 伊東 昌彦
第35回
職業欄を前にしますと、「自営業?」などと思いつつ、「僧侶」と書きます。しかし、いつも釈然としません。そもそも僧侶は職業なのであろうかと、改めて思ってしまうのです。僧侶とは仏教を学び実践していく者であり、必ずしも職業ではありません。敢えて言うならば、今日本では「プロ僧侶」と「アマ僧侶」がいるのです。ただ、「プロ僧侶」…、たしかにプロ野球も昔はありませんでしたが、これは可笑しい。なぜなら、僧侶はお金を稼ぐためになるものではなく、本来、むしろそういった世俗から離れることを目的とするからです。洋服でいそいそと出掛けるとき、「こんなんでいいのかなあ」と、家族を持ちながらも無責任に考えてしまいます。ちなみに「住職」は境内の管理者なので、職業とも呼べます。まあ、僧侶ではない住職はいないので、同じ問題を孕んではおりますが。
2009年12月 浄土真宗本願寺派 善福寺 副住職 伊東 昌彦
第34回
今月は妙についていません。まず、しめ鯖を食べたら、アニサキスという寄生虫まで食べてしまい、内視鏡で取り除いてもらいました。猛烈な胃痛で夜も眠れませんでした。そして、刃物で指を切りました。これまた結構深く切ってしまい、病院で四針縫ってもらいました。問答無用のお医者様、患部への麻酔注射が猛烈に痛いことでした。さらに、ライブでは家にヘッドフォンを忘れ、機材の電源コードをライブハウスに置いてけぼりにし、しまいには帰りの高速で出口を通過していまいました。大井松田から御殿場は25キロほどあり、ライブ帰りの往復はかなりの苦痛でした。「おかしい。これは逆にいいことあるのでは?!」と一瞬浮かれましたが、良く考えてみれば、「普段安穏にすごしていることこそラッキーなことなのでは…」と我に返りました。
2009年11月 浄土真宗本願寺派 善福寺 副住職 伊東 昌彦
第33回
大きな問題にぶつかった時、仏さまからの助言があり、問題解決!…。高僧の伝記などにはよく出てくる話で、実はご修行時代の親鸞聖人も、苦悩の末、観音菩薩に出会われ、他力に生きる決心をされたようです。問題に真摯に向き合い、自分本位の考え方を捨てることができれば、自然と道は開けてくるのでしょう。聖人はそこに観音菩薩を見られたのだと解釈します。先日、子供番組から有名な『マイウェイ』が流れてまいりました。自分の決めたことに自信がなく、本当にお寺のためになるのか、迷っている時でした。「信じたその道を私は行くだけ」という歌詞が聞こえた時、自然と涙があふれました。この曲は祖父である先代が好きで、20年以上前の葬儀でも流されたものです。祖父が仏さまとなり、助言をして下さったような、そんな気がしたのです。振り返ってみますと、こじつけで勝手に納得したようなところもありますが、あまりにも嬉しい一瞬でした。
2009年10月 浄土真宗本願寺派 善福寺 副住職 伊東 昌彦
第32回
あらゆる存在について考えたとき、仏教では関係性を重視いたします。男性と女性ということであるならば、男性は女性がいて男性、女性は男性がいて女性なのであり、相互関係において成り立っています。つまり、私たちはあらゆる存在に名をつけて認識しますが、それは別の存在との関係を名づけているに過ぎません。私たちは物事の存在を感じますが、それは関係性を感じていると言えます。自分の心にしましても、原因もなく今の思考が生まれているとは考えられません。ふと思ったことでも、きっと何かとの関係があるはずです。自分が今ここにいること、このように生きてこられたこと、すべて他者との関係によって成り立っていませんか?究極的に言えば、自分のみの力なんて、実はゼロなのではないでしょうか。責任転嫁を勧めているのではなく、命の重さを考えるには、こうした見方もあるということを知っていただければと思います。
2009年9月 浄土真宗本願寺派 善福寺 副住職 伊東 昌彦
第31回
経典には「歓喜踊躍」(かんぎゆやく)という言葉があります。仏の教えを受けていた聴衆は、それを聴き終わると、あまりの感動ゆえに喜び踊りだしてしまったというのです。ただし、経典は多くインドでまとめられたものですので、この「踊らずにはいられない」という感覚は、日本人的ではないかもしれません。多くの日本人にとって、人目をはばからず踊ることは意外と難しいことのようです。最近、音楽活動を再開いたしまして、某所でライブをしています。久々の爆音に感動して踊っていましたが、若いお客さんでも直立不動の方が多くいらっしゃいます。かく言う私も初めはそうでしたが、音に身を任せるようになってから、踊りが大好きになりました。たまには人目を気にせず、自然になってみるのもいいと思います。とりあえず、言葉やこだわりのない世界を手軽に体験できます。
2009年8月 浄土真宗本願寺派 善福寺 副住職 伊東 昌彦